Deep Blues Birthday

   
 Homosick James Williamson

 ギター  
 1910年 4月3日 生
 2006年12月13日 96歳 没

 ホームシック・ジェイムスは、スライドギターの名手として大変有名なブルースマンです。

 彼は10歳にしてギターを弾き始め、地元のダンスパーティーなどがあると演奏していました。
 1920年代にはミッシシッピを出て、スリーピー・ジョン・エステスと、ビッグ・ジョー・ウイリアムスンとで
 ノースカロライナを旅して回りました。

 1930年代にシカゴへやって来た彼は 1937年にビクター・レーベルに録音を残しました。
 1945年頃にはサニーボーイ・ウイリアムスンUと演奏し、
 その後、50年代までいとこのエルモア・ジェイムスと一緒に演奏していました。


   
 Muddy Waters (本名 McKinley Morganfiel)

 ギター  
 1915年 4月4日 生
 1983年 4月30日 68歳 没

 プランテーションの貧しい家で育ったマディ・ウォータースは
 幼い頃にスライドギターの名手サン・ハウスに出会い、大きな影響を受けました。

 1943年にスライドギタリストとしてシカゴへやって来ると
 すぐにサニーランド・スリム、エディ・ボイドと組みました。
 彼らのバンドはブルースバーで活躍しながらジミー・ロジャース、リトル・ウォルター、
 ベビーフェイス・リーロイ・フォスターなど優れたプレイヤーを仲間に入れていきました。

 1951年に 「Louisiana Blues」 「Longdistance Call」 「Honey Bee」 を発表。
 ローリングストーンズのバンド名のゆかりとなっている 「Rollin' Stone」 は当時あまり売れませんでした。
 1953年の 「Mad Love」 から オーティス・スパンがピアノに加わりました。
 1954年には ウィリー・ディクソンのプロデュースで 「I'm Hoochie Coochie Man」 「I'm Ready」
 「Just Make Love To Me」 を発表。
 1955年には 「Mannish Boy」 、1956年には 「Trouble No More」、
 1958年には ジェイムス・コットンをハープに入れ、「She's Nineteen Years Old」 を発表しました。 

 皮肉にもマディ本人がチャック・ベリーをチェス・レーベルに引き入れましたが、
 時代の波はチャック・ベリーの力でブルースからロックンロールへと移行して行き、
 彼の存在はだんだん薄くなってしまいました。
 しかし1960年の ニューポート・ジャズ・フェスティバルでの 「Got My Mojo Walking」 は
 白人層にもウケ、それは大評判になりました。

 1964年の 「Folk Singer」 からバディ・ガイがバンドに加入し、その後も演奏を続けましたが
 ロックンロールの波はますます盛んになり、マディの人気は衰えてしまいました。
 しかし、後にジョニー・ウィンターとのイベントなどが話題となり、ローリングストーンズをはじめ
 多くのロックミュージシャンに彼は尊敬されました。


   
 Big Walter Horton
 ハープ

 1917年 4月6日 生
 1981年 12月8日 64歳 没

 ビッグ・ウォルター・ホートンは、Shaky Walter Horton というもうひとつの名前も持っていました。
 彼はミシシッピで生まれ育ち、5歳の誕生日のプレゼントに父からハープをもらいました。
 うれしくて毎日ハープを吹いていた彼は母に連れられ、当時のブルースマンが演奏していたことで有名な
 Beale St. の近くにある Handy Park で演奏していました。

 やがて彼は仲間だったハミー・ニクソン、スリーピー・ジョン・エステスたちとジャグ・バンドに入り、
 地元のダンスパーティーや ジュークジョイント、街角など場所を選ばず演奏をしました。

 1948年にはまだ若かった B.B.King と共演。1949年には エディ・テイラーと共演。
 1953年にはマディ・ウォータース・バンドのハーピスト、ジュニア・ウェルズが兵役に行った時に
 バンドに加入し 「Forty Days And Forty Nights Mad Love」 を録音しましたが、
 バンドでモメ事を起こし1年でクビになりました。

 1964年にはバディ・ガイを引き連れ、チェス・レーベルの子会社のアルゴ・レーベルで録音し、
 その後、J.B.ハットー、ジミー・ロジャース、ビッグママ・ソーントン、ココ・テイラー、ロバート・ナイトホーク、
 サニーランド・スリム、フリートウッド・マックなど多数のブルースマンとも共演しました。

 1973年にはキャリー・ベルとも共演し、シカゴブルースにおいて重要な存在になっていた彼は
 ウィリー・ディクソンの一派とヨーロッパへ行ったりしました。

 1977年にはジョニー・ウィンターとの共演が 話題になりました。

 彼は生涯バンド・リーダーになることを嫌い、サイドマンとして徹しました。
 彼は1981年に心臓麻痺を起こし、この世を去りましたが、ブルーズ殿堂入りを果たしました。


   
 John Brim
 ギター  

 1922年 4月10日 生
 2003年10月1日 81歳 没

 ジョン・ブリムの最も有名な曲は後にヴァン・ヘイレンやデビッド・リーロスがカバーして
 有名になった 「Ice Cream Man」 です。

 彼は1941年にインディアナポリスで タンパ・レッド、ビッグビル・ブルーンジーと組みましたが、
 1945年にはシカゴへやって来て活動を始めました。

 1947年にドラマーだったグレイスと結婚し、
 1956年に 「I Would Have to See You Go」 を発表しました。
 その時のレコーディングメンバーは ハープにリトル・ウォルター、サイドギターに ロバート・ロックウッド Jr.、
 ベースにウィリー・ディクソン、ドラムはフレッド・ビロウと超豪華メンバーでした。



 Clarence "Gatemouth"Brown
 ギター、バイオリン  

 1924年 4月18日 生
 2005年 9月10日 81歳 没

 クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンの父はテキサスでは有名なブルーグラスのミュージシャンでした。
 父からギターを教えてもらった彼でしたが、歌を歌うのが苦手で
 高校の先生に 「お前の声は小さくて、口はまるで小さい門みたいだ。」 とバカにされました。
 しかし彼はそれを逆手に取り、自分をゲイトマウスと名乗りました。

 その後、テキサスブルースを代表する一人として数々の録音を残し、
 ライブイベントやTVショーなどで大活躍しました。


   
 Hound Dog Taylor (本名 Theodre Roosevelt Taylor)
 ギター  

 1915年 4月12日 生
 1975年 12月17日 60歳 没

 6本指のスライドギタリストで有名なハウンド・ドッグ・テイラーは 20歳でギターを始め、
 有名な KFFAラジオの 「キング・ビスケットタイム」 に出演していました。

 1942年にシカゴへやって来た彼はベースのいないバンド、ハウスロッカーズを組みました。
 地道な活動を続けたバンドでしたが当時はあまり売れませんでした。

 1973年に 「Natural Boogie」 でやっとヒットしましたが、その2年後にはガンで亡くなってしまいました。



 
 Bessie Smith
 ブルースシンガー

 1894年 4月15日 生
 1937年 9月26日 43歳 没

 1912年にベッシー・スミスは当時売れっ子だった Ma Rainey という人のショーに一緒に出演し、
 注目されました。
 1920年にはアトランティック・シティのショーを仕切るなど有名になっていました。
 1923年にニューヨークへ行った彼女はコロンビア・レーベルで 初めて 「Downherted Blues」 を録音し
 話題となりました。その後、ルイ・アームストロングと共演するなど活躍しましたが、
 1930年代には若手のブルースマンたちが活動を盛んにしたことから彼女の存在は薄くなり、
 1931年にはコロンビアとの契約も切れてしまいました。

 しかし、彼女は唄い続け、1935年には アポロ・シアターのブロードウェイ・ショーでビリー・ホリデイを演じ、
 カーネギーホールではスウィング・コンサートにも出演しました。

 1937年9月26日にミシシッピで不運にも車にひかれ、この世を去りました。


  
 John Little John (本名 John Funchess)
 ギター  

 1931年 4月16日 生
 1994年 2月 1日 63歳 没

 デルタで生まれたジョン・リトル・ジョンは、
 10代の頃に父の友人のヘンリー・マーティンにギターを習いました。

 1946年に家を出た彼はアーカンソーやニューヨークを経て、1951年にシカゴへやって来ました。
 彼は熱心にエルモア・ジェイムスのスライドギターのスタイルを研究しました。

 1968年に 「Chicago Blues Stars」 でデビュー。
 その中に入っている 「Kiddio」 は 彼の最も有名な代表曲です。


  
 Albert King(本名 Albert Nelson)
 ギター  

 1923年 4月25日 生
 1992年 12月21日 69歳 没

 B.B.キング、フレディ・キング に並ぶ 3大キングのひとり、アルバート・キングは 左利きながら
 右用ギターをそのまま左に持ち替えて弾くことで有名です。
 通常の逆さまで細い1弦が上にありますので、握るようにチョーキングすることで独特のサウンドを出します。

 彼は幼い頃から音楽に親しみ、ゴスペルを唄っていましたが、
 ブラインド・レモン・ジェファーソンのブルースを聴きブルースを志しました。

 1950年には T-99 Nightclub のハウスバンドに入り、
 クラブでの演奏のかたわら地元のラジオに出演しました。
 1953年にジミー・リード、ジョン・ブリムと出会い、バンドを組みますが、
 二人ともギタリストなので彼はドラムを叩きました。

 やがて彼はウィリー・ディクソンのオーディションを受け、合格をもらうと
 「Be On Your Merry Way」、「Bud Luck Blues」 を発表しました。

 1954年には In the Groove Boys というバンドに加入し、2年間 活躍しました。
 1956年にはセントルイスの地元バンドに加入し、彼のトレードマークでもある 「ルーシー」と名付けた
 フライングVを弾き始めました。

 1961年には 「Don't Throw Your Love on Me So Strong」 が R&Bチャート トップ14に入りました。
 1966年からはスタックス・レーベルに入り、専属バンドだった Booker T & The MGs と共に録音しました。
 1967年に 「Born Under a Bad Sign」 を発表。
 1971年にはヨーロッパを回りました。

 その後、レーベルの移籍を重ねながらアメリカ、ヨーロッパを回っていましたが、突然の心臓発作に倒れました。


    
 J.B.Hutto(本名 Joseph Benjamin Hutto)
 ギター  

 1926年 4月26日 生
 1983年 6月12日 57歳 没

 J.B.ハットーは、ハウンド・ドッグ・テイラーと共に
 スライドギターのエルモア・ジェイムスの後継者として有名です。

 1940年代にシカゴへやって来た彼は Twisters というバンドを組み、1954年にデビューしました。
 しばらく活動を続けましたが、解散し、その後10年に渡り、
 彼はバンドを組まず 葬儀場の掃除の仕事をしていました。
 しかし1964年に彼はバンドを復活させ、ギター2人とドラムのベースのいないスタイルで活動し
 その後、12年間は多くのブルースマンと共演しました。

 1976年にハウンド・ドッグ・テイラーが亡くなってしまうと、
 彼のバンドだったハウスロッカーズを J.B.ハットーは引継ぎ、アメリカやヨーロッパを回りました。


    
 Otis Rush
 ギター  

 1934年 4月29日 生

 1948年にシカゴへやって来たオーティス・ラッシュは、マディ・ウォータースと出会い
 シカゴブルースにのめり込みました。

 1956年に コブラ・レーベルからウィリー・ディクソンの支援を受け 「I Can't Quit You Baby」 を
 発表するとR&Bチャートの6位になり注目を浴びました。
 その後、1958年までに 「Double Trouble」 や 「All Your Love」 などのヒット曲を出しました。

 コブラ・レーベルが閉鎖され、1960年にチェス・レーベルに移ると 「Homework」 を発表。
 1969年にはヴァンガード・レーベルから 「Mourning in the Morning」 を発表。
 1971年にはキャピタル・レーベルから 「Right Place,Wrong Time」 を発表。
 1975年にはデルマーク・レーベルから 「Cold Day in Hell」 を発表。
 1986年にはアリゲーター・レーベルから 「Trouble Trouble」 を発表 とレーベルを渡り歩き、
 現在もシカゴブルースの代表として、バディ・ガイと同様、活躍しています。





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