Deep Blues Birthday

 
 Willie Dixon


 ギター、ベース、ブルースソングライター、プロデューサー
 1915年 7月1日 生
 1992年 1月29日 77歳 没

 ウイリー・ディクソンは、シカゴブルースにおいて数々の有名ブルースマンのヒット曲を書いた
 とても重要な存在のブルースマンです。

 彼は10代にしてブルースの曲を作り、それを地元バンドに売っていました。
 地元のローカルラジオに出演するなど 注目を浴びていた彼は Leonald "Baby Doo" Caston という
 ギタリストと出会い、ギターとベースのコンビを組み二人で街角に立って演奏していました。
 その後 The Five Breezes というバンドを組み大活躍を始めましたが、
 彼が徴兵に対し強く反対していたことから弾圧を受けバンドは解散に追い込まれました。
 しかし1年後には The Four Jumps of Jive というバンドを組み再び音楽を続けました。

 その後ブルースバーのジャムセッションに顔を出すようになった彼はチェス兄弟が立ち上げたばかりの
 レーベルで ロバート・ナイトホークのベーシストとして録音しました。

 チェス兄弟に作曲の才能を認められた彼はマディ・ウォータースをはじめ、
 ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルターなどの作曲を担当すると同時に
 ローウェル・フルスン、ボー・ディドリー、オーティス・ラッシュ などのレコーディングにベースを担当しました。

 しかし1960年代に入るとチェス兄弟はエレキベースを主体にし始めました。
 ウッドベースを専門にしていた彼は 段々と出番がなくなってしまいました。

 その頃ヨーロッパから来たプロモーターが、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルを企画し始めました。
 当時のブルースマンを取りまとめていた彼はチェスでの録音よりもそちらに力を注ぎました。
 フェスティバルが成功すると彼は50歳を越えて初めて自分の為の録音を始め、
 コロンビア・レーベルから 「I'am the Blues」 を発表しました。
 60年代の後期になるとシカゴ・ブルーズ・オールスターズとして、
 ヨーロッパを回るブルースマンを組織化しました。

 彼は たくさんのヒット曲を チェス・レーベルやブルースマンたちの為に提供しましたが、
 著作権を登録することを知らなかった彼には ほとんどお金が入ってくることはありませんでした。
 その重要性に気づいた彼は、後に彼の曲を勝手に何曲も演奏していたレッド・ツェッペリンを相手に
 訴訟を起こしました。

 しかし彼はひどい糖尿病にかかっており、1992年1月29日に 静かに息を引き取りました。


 
 James Cotton

 
ハープ
 1935年 7月1日 生
 2017年 3月16日 82歳 没

 ジェイムス・コットンは子供の頃に KFFAラジオ のキング・ビスケットタイムで
 サニーボーイ・ウィリアムスンUの演奏を聴いて衝撃を受け、9歳の頃にサニーボーイの家に住み着き
 彼からハープを直伝されました。

 上達した彼は1952年には KWEMのラジオショーにも出演しました。
 1953年にはサン・レーベルから 「Straighter Up Baby」 を発表し、
 翌年には 「Cotton Crop Blues」 を発表しました。

 1954年にマディ・ウォータースのバンドに加入し、「She's Nineteen Years Old」 などを発表しました。
 しかしリトル・ウォルターがハープだった頃と比べられ、評判は良くなかったと言われています。

 1960年にニューポート・ジャズ・フェスティバルでマディのバンドは大成功し、彼も大人気になりました。

 その後、ルーサー・タッカーと ドラムのサム・レイと組み活動しました。
 1974年にはギターにマット・マーフィーを迎え 「100% Cotton」 を発表。
 1990年にはハープの仲間たちである ジュニア・ウェルズ、キャリ・ベル、ビリー・ブランチ と4人で
 「Harp Attack !」 をアリゲーター・レーベルより発表し、話題を呼びました。


  
 Mississipi John Hurt 
(本名 John Smith Hurt)
 ギター  
 1893年 7月3日 生
 1966年 11月2日 73歳 没


 ミシシッピ・ジョン・ハートはミシシッピの近くの人口が100人もいない小さな村の農場に生まれ育ち、
 10歳の頃にギターを弾き始め、地元のパーティなどで演奏していました。

 1928年にメンフィスで 「Frankie」、「Candy Man Blues」、「Big Leg Blues」 などを録音しました。
 好評だった彼はニューヨークでの録音を誘われましたが、名声やお金に全く興味のなかった彼は
 農場から離れようとはしませんでした。
 やがて彼は世間から完全に忘れ去られてしまいました。

 それから何10年も経った後にある音楽研究家が彼の音源を聴き、彼を捜しました。
 まだ農場にいた彼は70歳になり貧しい暮らしをしていました。
 音楽研究家は彼をニューポート・フォークフェスティバルに出しました。
 その時彼は大勢の人前で演奏するのは35年ぶりでした。
 それをきっかけに1966年、彼はヴァンガード・レーベルから 「Today!!」 を発表し、
 大学などで演奏し、ついに ヨーロッパまで回りました。


  
 Pinetop Parkins
 ピアノ
 1913年 7月13日 生
 2011年 3月21日 98歳 没

 パイントップ・パーキンスは初めはギタリストとしてスタートしていました。
 しかし1940年代にコーラスをしていた女性とモメ、手をナイフで切りつけられ、
 ギターが弾けなくなってしまいました。

 彼はピアノを学び、練習して上達すると1943年にKFFAラジオのキング・ビスケットタイムに
 ロバート・ナイトホークと一緒に出演しました。

 1950年にロバート・ナイトホークがチェス・レーベルで 「Jockson Town Gal」 を録音したときにも
 彼はピアニストとして参加しました。

 やがて彼はアール・フッカーと組み、1953年には 「Pinetop's Boogie Woogie」 を発表しました。

 1969年からはマディ・ウォタースのバンドにオーティス・スパンの引継ぎとして加入しました。



   
 Buster Benton
 
ギター  
 1932年 7月19日 生
 1996年 1月20日 64歳 没

 バスター・ベントンは幼い頃からゴスペルを唄っていましたが、1950年代からブルースを始めました。

 1959年にはシカゴでバンドを組み、活動していました。
 彼もまたウィリー・ディクソンによる シカゴ・ブルース・オールスターズの一員でした。

 彼のヒット曲は 「Spider in My Stew」、「Money is the Name of the Game」 などがあります。

 彼はひどい糖尿病で足を切断するはめになりましたが、死ぬまでブルースの演奏を続けました。


  
 Buddy Guy
 
ギター
 1936年 7月30日 生

 1957年21歳のときにシカゴへやって来たバディ・ガイのスタイルは、
 最初はなかなか受け入れてもらえませんでした。
 やがて彼の実力が認められるとレコーディングの話も来るようになりました。

 1958年に 「This is the End」、「Try to Quit You Baby」 を発表し、
 1960年には 「First Time I Met the Blues」 を発表しました。

 チェス・レーベルと契約した彼は 「Let Me Love You Baby」、「Ten Years Ago」、「Stone Crazy」
 「My Time After a while」 など 数々の有名なナンバーを発表し、
 同時に マディ・ウォタース、ハウリン・ウルフ、サニーボーイ・ウィリアムスンU、
 ココ・テイラー、ビッグママ・ソーントン などと共演しました。

 1967年に チェス・レーベルと契約をうち切った彼は ヴァンガード・レーベルに移籍し、
 「A Man and the Blues」、「Mary Had a Little Lumb」、「This is Buddy Guy」、
 「Hold That Plane !」 などを残しました。

 オリジナル・ブルースブラザーズとして有名な相棒だったジュニア・ウェルズとは1965年頃からタッグを組み
 デルマーク・レーベルから 「Hoodoo Man Blues」、ブルーサム・レーベルからは 「Friendly Chap」、
 1972年には エリック・クラプトンがプロデュースした 「Play the Blues」、
 1974年には モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したときのライヴ盤
 「Drinkin' TNT'N'Smokin' Dynamite」を発表しました。

 1991年には 「J've Got the Blues」 で グラミー賞を受賞しました。
 1993年には 「Feels Like Rein」、1994年には 「Slippin' In」、
 1998年には 「Last Time Around - Live at Regends」 を発表しました。

 ジミー・ヘンドリクスやエリック・クラプトン、スティービー・レイボーンなどの有名なギタリストに
 大きな影響を与えた彼はオーティス・ラッシュと共に シカゴブルースを支える
 バリバリのブルースマンとして活躍しています。





  TOPへ